映画「ビューティフル・デイ」を観てきました~バレ有りレビュー

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ホアキン・フェニックス主演、リン・ラムジー監督の「ビューティフル・デイ」を観てきました。

ホアキン・フェニックスは私の大好きな映画「サイン」にも出演していましたし、良く名前を見る俳優さんなんで、それだけの理由で観に行ったんですね。

リン・ラムジー監督の名前は聞いた事も無かったんですが、イギリスの女性監督だそうで。

さて本題の「ビューティフル・デイ」なんですが、はっきり言います。

クソつまらなかったです。

紛れも無く私が観た中では、ここ数年で最も「まだ終わらないのコレ」とエンドクレジットが待ち遠しくなる映画です。

ほんの90分程の尺なんですが、90時間映画館の席に縛り付けられていたかのような錯覚を覚える程でした。

コレに原作があるってのが驚天動地ですね。原作も相当クソなんでしょうな。

無意味なストーリー

以下、ネタバレの弊害とか一切無いので全部書いてしまいますね。

アメリカの議員の娘(ニーナ)が何年か前に家出しました。原因は家庭不和。

金髪白人の家出娘の末路はお決まりだと想像してね。

そういうのを連れ帰る荒事ウェルカムな元軍人のジョー(ホアキン・フェニックス)は子供の頃の父親のDVでトラウマ持ち(っぽい演出が入るよ)。

イラク帰りの元海兵隊員だし、議員の娘をハンマー1本でらくらく回収。

引渡し用のホテルでTV観てると、依頼主の議員が飛び降り自殺したってさ。

やばくない?って思ってるのは観客だけで、ジョーはのんきなものだね。

って思ってたら案の定、ホテルの部屋に警官が押し入ってきて、ニーナは連れ去られちゃったね。

殺される前にジョーは警官を返り討ちにするよ、もちろん。セガールばりの華麗な合気道でな。

仕事の斡旋者、連絡係、老いた母親、とかジョーの関係者全員殺されてるね。

ジョーが母親の死体のそばでボーっとしてたら、わざわざ黒服のペアがまたノコノコ家にやってきたね、なんで?ねぇなんで?何しに来たの?

ホテルで警官殺して逃亡したジョーの家で、母親殺しておいて何故か警戒心ゼロで台所ウロウロしている黒服を、ジョーはあっさりマリンコパゥワアーで殺すよ、復讐だ!

黒服の1人は腹を撃たれたがギリギリ生きてるよ、しかもあっさり黒幕を教えてくれるよ。

ニーナの父親とは別の議員だってさ。

議員の車尾行するよ。家にあっさり入るよ。ハンマー1本で余裕さ、だって元海兵隊員だし。

お楽しみ部屋へ行くと、議員首を掻っ切られて死んでるね。

ニーナがやったみたいだね。ニーナは食堂で飯食ってるよ。

2人で逃げるよ。どこに?「いい天気(ビューティフルデイ)だから散歩行こう」

おしまい。

ハイ、「この映画は話のスジとか別にどうでもいいんだよ。だってアテクシ、芸術家()ですから。」って監督の声が聞こえてきそうな、正視に堪えない脚本ですよね。

宣伝に困った配給会社の連中が「これは現代の『タクシードライバー』だ」とか言っちゃってますが苦笑いしか起こりません。

90分無駄に観客に緊張を強いる癖に、大したことは何も起こらない嫌がらせのような映像

なんかですね、ジョーがトラウマ持ちってのを説明するためなのか、3分に1回ぐらいの割合でサブリミナルのようにけたたましい音とビニール袋に顔を突っ込んだガキの映像が挿入されるんですよ。

これがまぁ、多分ジョーが子供の頃、父親がDV野郎だったんだろうな、というのを何となく匂わせるだけの、情報量も少なければただの「びっくり映像」しかも内容はガキの顔と耳をつんざくSEだけっていう中途半端なものなんですね。

このサブリミナル・ショックが本当にしつこい。

もういいよ、何度も何度も、ってぐらい同じ「びっくり映像」が流れます。

観客としてはこのサブリミナル・ショックって、柱に縛られて目の前でビックリ箱空けられるようなものなんで、映画「ソウ」でジグソーに捕まった被害者のように気が休まりません。

これプラス、ずっとホアキン・フェニックス演じるジョーの姿を追い続ける映像なんですが、尺の99%が、殺し合いの場にハンマー1本でノコノコ行くってだけの映画なんですね。

だから、いつ物陰や、壁を突き破ったり、床を突き破ったり、天井を突き破ったりして拳銃を持ったマッチョマンが飛び出してくるか、先のサブリミナル・ショック効果もあって、こちらは常に身構えて画面を観ていなければいけない。

いっそそういうアクションの連続なら良かったのですが、この映画、アクション要素ゼロです。

で、サブリミナル・ショック以外のびっくり演出は、結局ゼロです。

敵を見つける、ハンマーで殴る。終了。

これを淡々と繰り返すだけなんですよ、実は。

なんかクソゲーの解説みたいになってきましたね。

こうやって、無駄に観客に緊張を強いるだけで実は何も起こらないし、話の起伏も無い、って一体何がやりたかったんでしょうか?

嫌がらせとしか思えませんね。

SEなんだかBGMなんだか良く分からん不快な音が鳴り続ける

まぁたぶん、ホアキン・フェニックスの演技を観ろって映画なのかもしれません。

ですがこの映画の「ジョー」って、父親のDV?だかなんだかのトラウマを抱えてるんでしょうが、え?何?それを延々演じてるのコレ?ってぐらい変化が無く、単調です。

当然、映像もつまらない単調な物になっていますが、それをごまかすためか、何かサイケなSEだかBGMだかが思い出したように流れるんですね。

これも大変に不快でした。

今何か起きた?これ何の音?ってビックリすると「そういうスカしたBGM」っていうね。

明らかに、絵もダメだし、話もダメだからなんか奇をてらったサウンドとか曲使って批評家にいい事言ってもらうんだ!っていう苦肉の策に走ってますね。

いや、そんなのはいらないから。

いいところを探してみる

絵もダメ、音もダメ、話もダメ、演技もなぁ・・・ホアキン・フェニックスが90分しかめっ面してるだけだしなあ。

1点、トラウマのせいで自殺願望があるらしいジョーが、母親の死体を湖に沈めて自分も入水自殺しようとした時に、ニーナの姿が目の前に浮かんで自殺を思いとどまるってシーンがあるんですが、よくまぁこんなベタな展開を恥ずかしげもなく書いたな、高校の映研かよ、と失笑したんですよ。

・・・が、この映画、事あるごとに自殺願望を匂わせるシーンが出てくるので「自殺するポーズを見せるのに、何かと理由をつけて毎回思いとどまる」っていう追い詰められた精神状態を描くのが本作のテーマだ、としたら「あーそうなのか。そっちがメインなのね。フーン。」という程度には見れますかね。

あと、ニーナを最初に助け出した時に引きのアングルでジョーがニーナの両腕内側を調べるシーンがあります。

注射痕を調べているらしき仕草なんですが、ホアキン・フェニックスのプロっぽい演技と、引きのアングルで撮らざるを得ない事情や、一切説明セリフもなく無言でササッと進めるあたりとか、昨今の映画表現について色々考えさせられるシーンでした。

原題「You  Were Never Really Here」から考えてみる

「ビューティフル・デイ」という能天気なタイトルではなく、原題の「You Were Never Really Here」に目を向けてみます。

この映画ではジョーの過去(子供時代以外も含め)のトラウマシーンがサブリミナル・ショックで繰り返されるのと、ニーナ視点で彼女が「自分だけの世界で数を数える(外部の音が遠くなっている)」という表現がやはり何度か出てきます。

これらは児童虐待の現場で被虐待児が現実逃避の手段として取る行動を想起させます。

虐待される自分を「これは自分ではない」と切り離し、別の人格からの視点で虐待されている自分を見るというパターンですね。

数を数え続ける(この数が●●に達したら虐待が終わる)や「自分は本当はここにいない」と自身に言い聞かせるという行動がこの映画と繋がります。

ジョーは自身の子供時代のトラウマを抱え、イラク派兵中はチョコバーを子供にあげたせいで、他の子供がそのチョコバー欲しさに相手を撃ち殺すシーンを目の当たりにします。

またFBI時代には人身売買の対象となったアジアの少女達を救えず、部屋にスシ詰め状態で死体になっているのを発見したという経験があり、これも再三フラッシュバックを起こしています。

連れ去られた子供を取り戻す、という今の仕事をしているのは「子供を助け、加害者を残忍に殺すことで過去の自分を救える、子供を救えなかった罪が赦される」という強迫観念からだというのは明らかですね。

ジョーの姿を見ていると彼に必要なのは明らかにカウンセリングなんですが、効かなかったのか、自分で解決しようとしているのか、とにかく一人で苦痛にもがき続けています。

で、このジョーがニーナと出会う事で何か変わったのか?というとこれが別に「何も変わらない」んですよ。

「また少しの間、自殺を延期しただけ」です。

先に書いたストーリーはそのまんまですので「ジョーは大人が子供を虐待するこの世界を再確認しただけ」だし、ニーナを連れ出した後のダイナーでのラストシーンでは、ジョーの「銃で自分の頭を撃ち抜く」自殺のイメージが再生されます。

そのラストシーンの直前ではジョーはニーナを連れ去った議員の家で、首を掻き切られて死んでいる議員の死体を発見するんですが、この際、彼は議員の死体を前に、急に泣き崩れるんですよ。

このシーンで彼がどういう心情だったのか、考えるとなかなか難しいんですよね。

ニーナという子供(少女)は、最後には悪い大人の首を掻き切る事で自分を救ったわけですが、それは子供時代のジョーにはできなかったし、スシ詰め状態で発見されたアジアの少女達にも出来なかった事です。

つまり、自分がずっとやり遂げたいと思っていて、代償行為をしても満たされなかった事を彼女はやってのけた。

階下で平然と食事をするニーナの元へ行き、ジョーはひざまづきますが、これは「子供(ニーナ自身)を救ってくれた」事に対する感謝なのか、自分が子供の頃にできなかった事をやり遂げたと言う畏敬なのか、「結局自分には何もできなかったし、これからもできやしない」と言う自己憐憫なのか。

ジョーの頭に触れてニーナは一言「私は大丈夫よ」と言いますが、このセリフも理解できない相手に対するたどたどしい慰めの言葉で、(見た目)大人と子供の間のすれ違い感もあり、ちょっと味わい深いシーンではありますね。

ビューティフル・デイ

You Were Never Really Here

日本公開:2018年

上映時間:90分

監督:リン・ラムジー

主演:ホアキン・フェニックス

エカテリーナ・サムソーノフ

ジュディス・ロバーツ

時間とお金の無駄
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